①聖徳太子が掲げた「わ」の精神
西暦604年4月3日、聖徳太子は、日本史上初の憲法となる、いわゆる十七条憲法を制定しました。当時の中国は隋の時代、強大な権力は周囲を脅かす勢いでありました。聖徳太子は、国の基盤を早急に固めなければ、日本は中国の属国となってしまうとの危機感から、この十七条憲法を制定したと言われています。その十七条憲法の第一条の始まりの言葉は、以和為貴。「わをもってとうとしとなす」 と読み、「皆が力を合わせ、仲良くすることが重要である」 ということを述べています。自国の危機に際して制定した憲法の冒頭が、和(わ)を貴ぶことから始まっているというところに、日本人が本質的に持っている"バランス感覚"の真髄を感じます。
②「わ」を国名とした先哲の想い
かつて中国では、日本のことを倭(わ)と呼んでいました。日本の先人たちは、それが蔑称であったと知った後も "わ"という音は残しつつ「和」という字を当てるという驚くべき柔軟性を発揮しています。そのこと自体が正に「わ」の精神だと言えるでしょう。なぜ先人たちは「和」という字を当てたのか?そこには、勿論、和(わ)を尊ぶ民としての誇りがあったに違いありません。こうして、図らずも、和(わ)を尊ぶ民が住む国の名は、和(わ)となったわけです(実際の読み方は、倭・和・大和、後の日本、全て"やまと"であったようです)。
③「わ」の精神が人生を豊かにする
前述の話からも、日本人の和(わ)に対する並々ならぬ想いの丈が伺えます。日本人のアイデンティティーは、和(わ)の精神を中核として成立しているのではないかと思えるほどです。"違い"を認め合い融合しようとするこの 「わ」 の感覚を育むことは、きっと人生そのものを豊かすることに直結しているはずです。殊、戦後において乱れ続けてきた日本の良き国柄を取り戻すために、また同時に、自らの人生をより豊かなものにするためにも、日本人自らが、再び【真の日本人】とならなければいけない…今は、そういう時代なのだと思います。
④今こそ世界に「わ」の精神を!
「わ」の精神の再構築は、日本人にとってのみ有効なのではありません。それが、世界人類全体にとっても有益であることは、論じるまでもなく自明です。絶えることのない争いを減らし、出来る限りの世界平和を実現するために、今世界には、「わ」の精神が必要です。驕りではなく本気で「世界中が"日本的"であったなら…」と、思うほどです。そして、"世界のお手本" として、「わ」の精神の模範をいち早く示せる者は、日本人をおいて他にはいません。今こそ日本人が世界の羅針盤となり、「わ」の精神と共に世界を導き牽引していく時なのだと思います。